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4人の沖永良部島の人たちに、じぶんの方言で短いお話をしていただいた動画を集めました。動画には原語と逐語訳の字幕がついています。日本語意訳と、逐語訳つき沖永良部語のテキストでもお話を紹介します。

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おきのえらぶじま観光協会の情報誌『しまらっきょ vol.5』(2020年4月30日発行)との連動読み物です。観光協会のオンラインショップでお買い物すると、しばらく同封してもらえます!

おはなし3

「えらぶにサンダーバード4号が来た話」

田中 美保子さん

 

1977年の沖永良部台風のあと、島にやってきた大きな飛行機。その飛行機のおなかがパカっとあいて、中からトラックが何台も出てきました。その姿はまさに。

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田中 美保子(たなか みほこ)さん

1958年 沖永良部島 国頭(くにがみ)生まれ

2019年8月31日撮影、58秒

動画の字幕が表示されないときはYouTubeでごらんください。

おはなしを日本語意訳で

今から42年前、「沖永良部台風」というとても大きな台風が来た年があってね。えらぶの家はみんな屋根が飛ばされて、すごい状態になってたのよ。

そのときに「今日は空港に大きな飛行機が来るよ」って聞いたものだから、私は高校3年生だったんだけど、空港に行ってみたの。

そうしたら、大きな自衛隊の飛行機が下りてきて、それも滑走路の真ん中に止まったの。それでその大きな飛行機のおなかがパカッと開いて、中からまた大きなトラックが何台も出てきて、私はすぐサンダーバード4号を思い出したのよ。

おはなしを逐語訳つき沖永良部語で

なまから よんじゅーにねんまえ

今から 42年前

「おきのえらぶだいふー」でぃぬ

「沖永良部台風」という

うとぅるしゃ うひさぬ たいふーが

すごく 大きな 台風が

きちゃぬ とぅしが あてぃ

来た 年が あって

がんしな えらぶぬ やー むーる

そしてね 沖永良部の 家 みんな

やね とぅばさてぃ

屋根 飛ばされて

うとぅるしゃぬ じょーたい なとぅたん。

すごい 状態 なっていた

がんしゃぬ とぅきに

そうしていた ときに

「ひゅーわ くーこーに

今日は 空港に

うひさぬ ひこーきが ちゅんどー」ち 

大きな 飛行機が 着くよ」と

ちちゃぬ むん あてぃ

聞いた もの だから

わな こーこー さんねんどぅ あたしが

私は 高校 3年ぞ あったけど

くーこーち いじみちゃん。

空港に 行ってみた

がんしゃりば

そうしたら

うひさぬ じえーたいぬ ひこーきが

うりてぃきち

大きな 自衛隊の 飛行機が 下りてきて

うりむ かっそーろぬ まんなかに

とぅまたん。

それも 滑走路の 真ん中に 止まった

がんし うぬ うひさぬ ひこーきぬ わたが

そして その 大きな 飛行機の おなかが

パカッでぃち あち

パカッと 開いて

なーから うひさぬ トラックが

中から 大きな トラックが

なんだいむ いじてぃきち

何台も 出てきて

わな すぐ

私は すぐ

サンダーバード4号でぃぬ むん

サンダーバード4号という もの

うむいだちゃんどー。

思い出したよ

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沖永良部語のこと

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島の人たちが「ほーげん」と呼ぶ島のことば「沖永良部語」は「日琉語族-琉球語派-北琉球語群」に分類される琉球諸語の一つです。日本語諸方言や他の琉球諸語と同じ祖語「日琉祖語」から分岐した言語ですが、長い歴史変化を経て現在の沖永良部語の文法体系を獲得しました。

ユネスコは2009年に、沖永良部語を含むすべての琉球諸語を「いま何もしなければ」なくなってしまう「消滅危機言語」として報告しました。

しかし!近年島では「大人も子どもも一緒に、楽しく使いながら次世代に残していこう」という機運が少しずつ高まってきています。島内の草の根活動から始まり、2019年からは沖永良部島の和泊町・知名町と国立国語研究所が沖永良部語継承保存のための連携協力協定を結び、行政レベルでも言語継承の取り組みが行われています。

いろんな言語の記録・継承の取り組みの一つに、こういうのがあってもいいですよね、と思ってこの読み物を書きました。(​山田真寛)

*国立国語研究所フィージビリティスタディ「フィールドデータのオープンサイエンス」の研究成果を含みます)

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